『マイルストーンズ』アメリカを撃つ— ロバート・クレイマー
上映スケジュール |
4月26日(土)~5月2日(金) 連日14:30~(206分+途中休憩15分) |
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料金 |
【当日】一般:1700円 / 学生・シニア:1400円 / 会員:1200円 |
1975年 / アメリカ / 英語 / カラー / 206分 / 16mm
製作:バーバラ・ストーン、デヴィッド・C・ストーン、ニューヨーク・シネマ
監督・脚本・撮影・編集:ロバート・クレイマー
共同監督:ジョン・ダグラス / 照明:フィリップ・スピネッリ
録音:ジェーン・シュウォーツ、フィリップ・スピネッリ
記録・整音:マリリン・マルフォード
出演:G・W・アボット、アンバー・アン、ローレル・バーガー、ノア・バーガー
デヴィッド・バーンスタイン、ボビー・ビークラー、カーター・キャンプ、
メリー・チャペル、ポーラ・チャペル、エリザベス・ディア、ジョン・ダグラスほか
公式サイト:http://cinematrix.jp/RK/
アメリカを撃つ———
孤高の映画作家ロバート・クレイマー
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★4月26日(土)『マイルストーンズ』上映後
北小路隆志さん(映画評論家)によるトーク開催!
ヴェトナム戦争、反戦、ウッドストック、フラワームーブメント
ドラッグ、サイケデリック、ヒッピー
アメリカが最も熱く、刺激に満ちていた時代――
アメリカを、世界を、見つめ続けた映画作家ロバート・クレイマー。
その幻の傑作2本が40年の時を経て、オリジナル16ミリフィルムで劇場初公開!!
1999年惜しくも急逝した映画作家ロバート・クレイマー。60年代のヴェトナム反戦と若者たちの反逆のうねりのなかで、映像による左翼前衛闘争集団“ニューズリール”を結成し多くの作品を発表。ドキュメンタリーとフィクションの境界線上に現代社会の本質を政治的・批評的立場から見つめる作品を発表し続け、とくにアメリカ社会に向けた鋭い眼差しには定評がある。いまなお、多くの映画作家に影響を与え続けるクレイマーが、アメリカが最も熱く激しく動いた時代を活写した2作品『アイス』『マイルストーンズ』を40年の歳月を経てオリジナル16ミリニュープリントで劇場初公開する。
【ストーリー】
ひとつの時代が終わり、そこに新しい誕生の可能性が示唆される、“運動”の世代の自画像。50人を超える登場人物からなる6つの物語が互いに干渉を繰り返しつつ巨大なモザイクを作り出す。背景に広がるのは「ユタの雪を被った山々から、自然がモニュメント・ヴァレーに作り出した彫刻まで、ホピ・インディアンの洞窟からニューヨーク・シティの汚れと埃まで」の壮大なキャンヴァス。アメリカの左翼ラディカルの生き残りたちの生活と生きざまが、政治的にも個人としても変化に直面した人々の社会の質感の中に入り込み、複雑にからみ合う、1970年代を代表する傑作。ロバート・クレイマー後期の代表作「ルート1/USA」は『マイルストーンズ』の続編とみなされている。
「『マイルストーンズ』は火=空気=土=人間だ。それは70年代のアメリカを見つめると同時に、過去へ、そして未来へと旅する。これは再び誕生することについての映画だ―思想が、顔が、映像が、そして音が再び誕生することについての映画である。」———ロバート・クレイマー、ジョン・ダグラス(トリノ映画祭’97 カタログより転載)
【ロバート・クレイマー プロフィール】
ロバート・クレイマー Robert Kramer
1936年ニューヨーク生まれ。1960年代のヴェトナム反戦と若者たちの反逆のうねりのなかで、映像による左翼前衛闘争集団“ニューズリール”の結成メンバーとなり、集団制作により4年間に50本の作品を発表。その後もドキュメンタリーとフィクションの境界線上に現代社会の本質を政治的・批評的立場から見つめる作品を発表し続けた。80年代からはパリに在住。ヨーロッパにもその視野を広げ、長編だけでなく短編やビデオ作品も手がけた。82年にはヴィム・ヴェンダース監督『ことの次第』の脚本を共同で執筆している。
1999年に急逝。1989年の「ルート1/USA」は、山形国際ドキュメンタリー映画祭’89で最優秀賞を受賞。山形には1997年に審査員として再来日し、没後の2001年に特集上映が行われた。
【ロバート・クレイマーの言葉】
極端な言い方をしようと思う———議論のために、少なくとも考えるきっかけとして。
我々はこの惑星に飽きて来ているのではないか? 我々は、その資源と驚異を使い果たしつつある。 そして人類は、他の物たちとー線を画し、上から支配する立場である以上、より高度な気晴らしと刺激に向かう。テクノ口ジーはもはや我々の神経系統のー部だ。それに頼って自ら“新しい世界”に身を置く———これからすべてが行われ、発見されることを待っている新鮮な世界へ。 あるいは、 我々はそれに頼ってこの惑星・地球から飛び出す、外へ、オン・ザ・ロード・アゲイン(再び旅路へ)!
確かに単純化だ。だが我々の感じていること———人間が多すぎる、我々は世界をめちゃくちゃにした上に、少しでも破壊的でなく、競争するのでない、協力的なやり方を学べるかどうかも疑わしい。そして略奪者の普遍の性質、 または遺伝子の生存本能として、我々は次なる豊穣の土地を求め、そこを占領しようとつき動かされる———我々の気まぐれと、脆弱な自己正当化の理屈にのっとって。
映画全般と、特にドキユメンタリーとの関連は?“シネマ”———“ムーヴィー”とは違う、あるいは“映像”や“テレビ”とも。だが“シネマ”、この特定の投企=投影、この規範、この探求の実践の形、思考の分析と表象、“シネマ”は物質世界に属している。それは我々が“今”どこに立っているかについてのものだ。それは“ここ”の喜びと問題についてのものだ。それは常にこの世界と、そこを動く身体についてのものだ。“シネマ”、特にドキュメンタリーは、我々がお互いに対してだけでなく、モノや他の生物との関係の蜘蛛の巣からも分かち難いことを確認する。皮肉なのは、“映像”さえもが、我々があるがままの事物と接触することを妨げていること、映像———見せ物が私がまさにここで述べている世界への飽きを反映していることだ。正しい映画を正しい時に見ることは、我々が自分の周囲の現実との接触を続けることがどれだけ大事なことかを思い出すための数少ない手段なのだ。そうした経験の結果は、我々と我々を取り巻く世界のあいだに対話の可能性を取り戻す助けになる。
(山形国際ドキュメンタリー映画祭1997公式カタログ 審査員のことばより)
【エリカ・クレイマーの言葉】
繋がらない運なり/コミュニケーション
ある夜、ロパー卜と二人で星を見ている時、私はある星に魅了されました。 彼に示そうとしましたが、あの時私達は決して同じ星を共有できなかった。でも何も壊れなかったのです。人生とはそういうもの。共有できないことを共有する、コミュニケーシヨンはそういうものだと思います。
道標としての『マイルストーンズ』
ロバートが 『マイルストーンズ』 で伝えようとしたのはそういうことです。あの頃の私達、『アイス』以後の私達は、破壊することに飽き、自分を再構築しようとしていた。一人一人が自分の生活を取り戻そうと試みていた。銃をおき、今度は国家についてではなく、自分自身に向けて革新的な問いを発し始めたのです。ロバートは分断された自分と世界を一つの流れに繋げることができるか、という問いを発し、観る者を揺さぶろうとします。イメージや情報で善悪の判断を押し付けることはありません。この映画は、登場人物と同じ世代の曰本の若い人たちが観ても、共感できるでしょう。これは歴史ではなく、普遍的な、生きている
道具なのです。今、ここで、自分を見つめるための、自由な探求への道標です。ロバートは 「プロセス」の冒険者だったのです。
「自分」 と 「直感」を巡る冒険へ
自分を知るためには、直感を大事にしなくてはいけません。私達の感覚には、匂いや、 触感、音、ありとあらゆる情報が届く。 誰もが同じ情報をインプットされるけれど、受け取り方はそれぞれです。直感というのは、全ての情報は真実だと受け入れ、全ての人は特別だと感じること。情報は、成長への正しく、美しい道を指す標識です。自分の内なる声、直感に、心を透明にして耳を傾けることができれば、自分の場所が見つかるはず。決して簡単ではありませんが、困難を乗り越えることによって私達は自分の限界から自由になることがきっとできるでしょう。皆さんに、『マイルストーンズ』と対話し、ロバートを通じて、自分自身を見つめて欲しいと思います。
(山形国際ドキュメンタリー映画祭2001デイリーニュース10/6号より)
※ロバート・クレイマー亡きあと、山形国際ドキュメンタリー映画祭2001の「ロバート・クレイマー特集」の際の、ロバート・クレイマーのパートナー、エリカ・クレイマーによる挨拶より