中国・日本 わたしの国

上映スケジュール

10月18日(土)~10月31日(金)

10月18日(土)~10月24日(金)▶12:10〜
10月25日(土)~10月31日(金)▶13:20〜

料金

【当日】一般:1700円 / 学生・シニア:1400円 / 会員:1000円

【前売】1000円(窓口にて販売。★上映開始前日まで)

2013年 / HD撮影 / カラービスタサイズ / 108分

監督:ちと瀬千比呂 / 製作:鈴木ワタル
プロデューサー:沢田慶 / 撮影:塩生哲也
応援:ヤマモトケンジ / 協力:フォーカスピクチャーズ
タイトル:上河内美和
助成:文化芸術振興費補助金 / 製作・配給:パル企画

出演:山田 静、黄 家騄、于 秀彦、山田 毅、山田 誠
山田 翠、山田 洸、林 敏雄、林 満子
山口桜子、山田博志、刘 玉华、黎 正勤
陳 智勇、陳 智琴、陳 智坛、陳 智芬

公式サイト:http://china-japan-mycountry.com/

山形国際ドキュメンタリー映画祭2013出品作品
来日して22年。春よ来い。

★10/18(土)、10/19(日)
ちと瀬監督来場舞台挨拶あり!

 
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「2つの国は、わたしの国。国籍は関係ない。」

 
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中国と日本の血を受け継いだ彼女の笑顔と人懐っこさは、周りの人を魅了する。
2009年12月のある夜、一人の女性タクシードライバーと出会った。
生い立ちを尋ねると、まさに日中戦争に翻弄された人生であった。
終戦後、日本人の母は残留し中国人と結婚。彼女を生む。
日中の血を受け中国で育った彼女は「文化大革命」など、歴史の荒波を生き抜く。
20年前にようやく帰国し日本国籍を得るのだが、その生活は家庭の崩壊など、
決して平穏なものではなかった。
彼女の目を通し、日中の歴史と未来のあり様を探ると共に、8割の日本人が
「中国に親しみ感じない」という現況の改善の助けになればと願うのである。

 

山田静 59歳。
お金がなくても、家族・子供がいっしょにいれば幸せ。
来日して20年以上になる、残留邦人二世の彼女の幸せのかたち。

 
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亀有駅のタクシー乗り場。
男性ばかりの同僚に混じり、決して流暢と言えない日本語で不景気を嘆く一人の女性ドライバーがいる。
山田静さん59歳。彼女は、母の祖国・日本へ来て22年目を迎えた中国残留邦人の二世だ。
中国で二度、日本で一度の離婚を経て、異父兄妹4人の子を女手一つで育て上げた。
誰に対しても物怖じせず、自身の主張は通す。弱音は吐かず、誰の手助けも借りたくない。
そんな彼女の肝っ玉ぶりも、決して生まれながらに具わっていたわけではない。
では、何が彼女をそうさせたのか?
日本に来てからは忙しく、病気をする暇もなかったという彼女が腎臓を患い手術をした。
その際「長く大連の、母の墓を訪ねていないため、母が怒ったのでは」と思うのだった。
彼女は二人の子を連れ中国に里帰りする。
カメラもその里帰りに同行し、彼女の肝っ玉おっ母たるルーツを、彼女の半生を追い求める旅に出た。

 

■監督のことば ちと瀬千比呂
2010 年 2月26日、山田静さんの勤務するタクシー会社を初めて訪れてからの1年は、撮影というより静さんの語る生い立ちの声を、ただ黙々と記録していた。今はもう慣れたが、お会いした当初は決して流暢と言えない日本語が理解できず、後日する文字起こしでようやく分かることが暫しあった。
 
語りの大半は「怒」を基調とした激しいもので、湯水の如くに溢れ出てくる。日本人の血を引くことによる虐め。共産党員育成のための青少年組織に入隊できない屈辱。文化大革命時代に隔離審査された苦悶の日々などと、枚挙にいとまがない。しかしそんな語りの中で、ふっと声のトーンの変わる瞬間があった。それは亡き母(日本人)への想いを語ったときだ。
童心に帰って甘えたような声・・・その声のトーンが深く印象に残った。普段、弱さを見せない静さんに、このような声を出させてしまう母親とは、どのような人だったのか。また、声だけでなく静さんのその「表情」も撮りたい。
 
2011年の旧正月、その機会は訪れた。静さんの大連への里帰りに同行し、静さんの父から母にまつわる話を聞いた。「静も妻も金遣いが荒い。ただし自分のためではなく家族のために」静さんの母は、借金をしてまで家族のために、食べ物や服などを買い与えていたそうだ。このような恩恵を静さんは十二分に享受していたのだ。静も金遣いが荒いと言う父の発言に、私も思い当たる節があった。
静さんは四人の子を持つシングルマザーであるが、私から見ても過ぎると思う程、子供たちに何不自由なく物を買い与えていた。その行為は、父親の不在に対する穴埋めという意味もあったろうが、それ以上に自身の良き想い出(祖父母・父母・4人兄弟に囲まれた家庭生活)に対する、後ろめたさもあったのではなかろうか。
 
かくして母の献身的なる精神は、静さんへと受け継がれる。静さんが大連で内装会社を起こし多額の利益を得た際、お金に困った人たちに、返済されないと自覚しながらも融資したそうだ。その恩恵を受けた中に、上海に住む2番目の元夫の家族がいる。里帰りに同行した娘を祖父母に会わせようと上海へ向かった。義父と静さんとは20年振りの再会である。互いが心から喜びを分かち合った。
100才まで生きてよと、静さんは入院中の義父の手を握り、満面の笑を浮かべる。その表情はまさに前記した「童心に帰って甘えたような声」にピッタリと同期するではないか。心から先達を敬う無垢な表情が、これほど人を魅了するとは・・・「自分より他人」という気持ちが、静さんには当たり前のようにある。それは彼女が共産主義国で生まれ育ったことと決して無関係ではないだろう。
里帰りのあとに静さんは言った。もっと昔はみな他人のことを思っていたと。単純に経済の発展とは、そのような思いやりをも奪ってしまうということか? 無論、中国のことだけを言っているのではない。また私自身、一番欠けていたものを静さんから教わったような気がする。