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ピナ・バウシュ 夢の教室

上映スケジュール

4月11日(土)〜4月17日(金)

連日15:00〜

料金

一般:1500円
学生・シニア:1200円
立誠シネマ会員:1000円

【ピーター・ブルック&ピナ・バウシュ 夢のお稽古キャンペーン!】
★どちらかの半券をご提示でもう1作を1000円に割引!

2010 年/ドイツ/独語/カラー/89 分/HD/ステレオ

出演:ピナ・バウシュ/ベネディクト・ビリエ/ジョセフィン=アン・エンディコット
監督:アン・リンセル
日本語字幕:戸田史子
後援:ドイツ連邦共和国大使館

公式サイト:http://www.pina-yume.com

ピナとともに過ごした、かけがえのない10 ヶ月。
ダンス経験のない40人の10代が、名作「コンタクトホーフ」を踊るまで。


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たいせつなのは、自分を解き放つこと―

稀代の舞踊家ピナ・バウシュの指導風景を収めた、生前最後の公式映像。
そこには未来を生きる少年・少女への、たいせつなメッセージが溢れていました。
世界的な舞踊家、ピナ・バウシュのもとに、40人のティーンエイジャーが集まった。
演劇好きの少年、ロマの子、不慮の事故で父を亡くした少女やヒップホッパー…。
性格も家庭環境もバラバラで、ピナの名前すら知らない彼らに共通するのは、誰一人として、ダンスを習った経験がないこと。
そして、たった10ヶ月後に、ピナ・バウシュの代表的作品「コンタクトホーフ」の舞台に立つこと。
ピナ自身が企画した、この無謀とも言える挑戦を実現するため、ヴッパタール舞踊団で活躍したダンサー、ベネディクトとジョーによる、毎週土曜日の猛特訓が始まった。
ピナも何度も稽古場に足を運び、子供たちと語り合う。慣れないダンスに恥じらったり、弱音を吐いてばかりの少年たちは、本当に大勢の観客が見つめる舞台で自分を表現できるようになるのだろうか…。

『ピナ・バウシュ 夢の教室』メイン

ベルリン映画祭で絶賛!決して見ることのできなかった、
ピナの“創作の裏側”に迫る唯一のドキュメンタリー。

2009年に他界したピナの貴重な指導風景と子供たちの成長を瑞々しく捉え、ベルリン国際映画祭で絶賛を浴びた傑作ドキュメンタリーが立誠シネマへ。

普段は立ち入りを許されないピナの“創作の裏側”に接近したカメラは、タバコをくゆらせながら、時に厳しいまなざしで、時にやわらかな微笑みで子どもたちを見守る彼女の姿を鮮やかに映し出します。踊ることは、自分を解き放つこと。誰もが内に秘める優しさと暴力、純真な心、その全てをさらけ出すことなのだと、彼女は教えてくれました。

「ピナに出会って、自分を変えることができた」恥ずかしがり屋の少女はいつしか自分の殻を破り、内気な少年はたくましく成長してゆく。彼らひとりひとりが経験したあらゆる物語が、公演当日の舞台へとつながってゆくのです。ステージだけでは窺い知れない、ピナの信念や美学、そして最後に伝えたかった想いを、この映画を通じて見届けて下さい。

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〜ピナ・バウシュ PROFILE〜
1940年7月27日、ドイツ西部、ノルトライン=ヴェストファーレン州のゾーリンゲンに生まれる。14歳のとき、同州にある工業都市エッセンのフォルクヴァンク芸術大学に入学。「緑のテーブル」などで知られるドイツ現代ダンスの巨匠クルト・ヨースに師事する。58年、同校を首席で卒業し、ドイツ学術交流会(DADD)の奨学金により、アメリカへ留学。選科生としてニューヨークのジュリアード音楽院舞踊科に入学する。同じ頃、ポール・サナサルドやドーニャ・フォイヤーのダンスカンパニーに参加。また、アントニー・チューダーの推薦により、メトロポリタン・オペラ・バレエ団やニュー・アメリカン・バレエ団などでも活動した。62年、ドイツに帰国。クルト・ヨースが創設したフォルクヴァンク・ダンス・スタジオでソリストとして活躍する。68年からは振付も担当し、翌69年には芸術監督に就任したほか、フォルクヴァンク芸術大学の教授にも就任。同年の作品「時の風の中で」は、ケルンの国際振付家コンクールで1位に輝いている。73年、ヴッパタール・バレエ団の芸術監督に就任すると、名称をヴッパタール舞踊団に変更。当初、独特の表現方法を取り入れたピナの斬新な作品は、伝統を重んじる地元ファンや批評家からの反感を買ったが、「春の祭典」「カフェ・ミュラー」などの傑作を生み出し続けるうち、内外からの圧倒的な評価を集めるに至る。82年、フェデリ コ・フェリーニ監督の映画 『そして船は行く』に出演。90 年には自らが監督を手がけた芸術映画『嘆きの皇太后』が、ベルリン国際映画祭に出品。後に日本でも劇場公開されている。97年、パリ・オペラ座バレエ団がピナ振付による「春の祭典」を上演。99年には、坂本龍一によるオペラ「LIFE」に出演した。また、2002年のペドロ・アルモドバル監督作品 『トーク・トゥ・ハー』の冒頭で、代表作である「カフェ・ミュラー」の一部をピナ自身が踊り、舞踊団も出演。05年、新振付による「オルフェウスとエウリディケ」をパリ・オペラ座バレエ団で上演。彼女の功績は世界中で認められ、様々な賞を受賞したが、志半ばの09年6月30日、ガンにより68歳でこの世を去った。