チリの闘い

上映スケジュール

2017年7月22日(土)〜7月30日(日)

第一部:7月22日(土)、25日(月)、28日(金)11:30〜
第二部:7月23日(日)、26日(火)11:30〜
29日(土)12:00〜
第三部:7月25日(月)、27日(水)11:30〜
30日(日)12:00〜
★1日1部ずつ上映

料金

当日一般:1500円
学生・シニア:1200円
立誠シネマ会員:1000円
3プロ券:3300円

1975年、1976年、1978年/チリ、フランス、キューバ
第一部:ブルジョワジーの叛乱(96分)、第二部:クーデター(88分)、第三部:民衆の力(79分)
263分(3作合計)
撮影:16mm 、上映:デジタル
原題: LA BATALLA DE CHILELa Lucha de un Pueblo sin Armas

製作・監督・脚本: パトリシオ・グスマン
支援: クリス・マルケル、キューバ映画芸術産業庁、マッカーサー基金
撮影: ホルヘ・ミューレル・シルバ
アーカイブ: ESTUDIO HEYNOWSKY & SCHEUMANN NOTICIARIO CHILE FILMS ARCHIVO ICAIC REVISTA CHILE HOY ISKRA
配給:アイ・ヴィー・シー
配給協力:ノーム
宣伝:スリーピン

公式サイト:http://www.ivc-tokyo.co.jp/chile-tatakai/

熱狂、陰謀、動乱、緊迫、喧噪と静寂、 勝利か敗北か。
史上最高のドキュメンタリー映画ついに公開!

『チリの闘い』はパトリシオ・グスマン監督による三部構成のドキュメンタリー映画である。
東西冷戦期の1970年、チリでは選挙によって成立した世界初の社会主義政権が誕生し、サルバドール・アジェンデが大統領に就任した。「反帝国主義」「平和革命」を掲げて世界的な注目を集め、民衆の支持を得ていたが、その改革政策は国内の保守層、多国籍企業、そしてアメリカ合衆国政府との間に激しい軋轢を生み、チリの社会・経済は混乱に至る。1973年9月11日、陸軍のアウグスト・ピノチェト将軍ら軍部が米国CIAの支援を受け、軍事クーデターを起こす。アジェンデは自殺(諸説あり)。以後、チリはピノチェトを中心とした軍事独裁政権下に置かれた。 パトリシオ・グスマンは、このチリにおける政治的緊張と社会主義政権の終焉を撮影・記録。クーデターの後、グスマンは逮捕・監禁されるも処刑の難を逃れ、フランスに亡命。撮影されたフィルムも奇跡的に国外に持ち出され、映画監督クリス・マルケルやキューバ映画芸術産業庁(ICAIC)の支援を得て、「史上最高のドキュメンタリー映画」とも言われる破格の作品を完成させた。

第一部:ブルジョワジーの叛乱(96分)
1973年3月におこなわれた議会選挙における左派(人民連合)の予期せぬ勝利に続く、右派による攻勢の激化を検証する。議会制民主主義がアジェンデの社会主義政策を阻止できないことを思い知った右派は、その戦略を国民投票から街頭闘争へと転換する。この第一部は、右派が政府を弱体化して危機的状況を引き起こすために、デモやストライキの扇動から暴動、そしてテロへとその暴力的戦術をさまざまに駆使する様子、そしてついには軍部がクーデター未遂事件を引き起こすまでの数か月間を追う。

第二部:クーデター(88分)
第二部は、第一部の終盤に登場した1973年6月29日のクーデター未遂事件で幕を開ける。この「クーデター未遂」は、軍にとって有益な予行演習となったことは明らかであり、「本番」がおこなわれるのは時間の問題だと誰もが認識しはじめた。左派は戦略をめぐって分裂し、一方右派は着々と軍による権力掌握の準備を進める。最終的に73年9月11日の朝にクーデターが実行に移され、大統領府は軍による爆撃を受け破壊される。アジェンデはラジオを通じてチリ国民に向け演説をした後、自殺と思われる死を遂げる。同じ日の夜、アウグスト・ピノチェトを議長とする軍事評議会のメンバーがテレビ出演し、新たな軍事政権の発足を宣する。

第三部:民衆の力(79分)
平凡な労働者や農民が協力し合い、”民衆の力”と総称される無数の地域別グループを組織してゆく姿を追う。彼らは食糧を配給し、工場や農地を占拠・運営・警備し、暴利をむさぼる闇市場に対抗し、近隣の社会奉仕団体と連携する。こうした活動は、まず反アジェンデ派の工場経営者や小売店主や職業団体によるストライキへの対抗手段として始められたものだった。やがて”民衆の力”は、右派に対し決然たる態度で臨むことを政府に要求する、ソビエト型の社会主義的組織体へと徐々に変質してゆく。

 


 

パトリシオ・グスマン Patricio Guzmán

1941年8月11日、チリのサンティアゴ生まれ。青年期にクリス・マルケル、フレデリック・ロシフ、ジャック=イヴ・クストーらの監督作を観て、ドキュメンタリー映画製作に興味を覚える。チリ大学で演劇と歴史と哲学を学んだ後、チリ・カトリック大学で映画作りを学び、さらにマドリードの国立映画学校で70年に映画演出の学位を取得した。71年にチリに帰国して、国立映画製作会社チリフィルムズに参加、ドキュメンタリー映画ワークショップを率いる。同年、アジェンデ政権発足後最初の12ヶ月間に取材した長編『最初の年』(71、未)を初監督。この作品はチリで商業公開された。また、当時チリを訪れていたマルケルがたまたま同作を観て、フランスでの公開に一役買うことになる。次いで、反アジェンデ勢力のストライキが引き起こした経済的混乱に抗する労働者たちの姿を描いた第2作『十月の回答』(72、未)を発表。

アジェンデ政権末期のチリを記録した全三部からなる第3作『チリの闘い』は、軍事クーデターの勃発により、撮影終了から完成までに数年の歳月を要したが、完成作はヨーロッパおよびラテンアメリカの各種映画祭で計7つのグランプリを獲得し、およそ35ヶ国で商業上映されるなど、傑出したドキュメンタリー映画として高く評価された。

これまで日本公開された作品も2作ある。人類の過去を探求する天文学者たちと、ピノチェト政権時代に処刑された親族の面影をいまだ追い求め続けるチリの女性たちの姿との間に認められる類縁性に焦点を当てた『光のノスタルジア』(2011)。そして、『光のノスタルジア』と共に三部作の一部をなす予定の、水に恵まれた環境にありながらそれを活用しえなかった国チリ、ヨーロッパからの移住者に虐げられてきたチリ先住民、ピノチェト政権下で拷問・殺害された後密かに海に沈められた人々が「ボタン」を介して結びつけられる『真珠のボタン』(2015)である。83年には唯一の劇映画『羅針図』(未)も発表した。また、独裁政権下にある南米の架空の国を舞台としたハリウッド製喜劇映画『パラドールにかかる月』(ポール・マザースキー、88、VHS発売のみ)に俳優として出演している。現在はフランスのパリに在住。