フタバから遠く離れて 第二部

上映スケジュール

3月21日(土)~4月10日(金)

3月21日(土)~3月27日(金)▶16:40〜
3月28日(土)~4月3日(金)▶13:00〜
4月4日(土)~4月10日(金)▶15:00〜

料金

当日一般:1700円
学生・シニア:1400円
立誠シネマ会員:1000円
★前売券:1400円(特典:特製プレスシート)
★『フタバから遠く離れて 第一部』半券ご提示の方は一般1500円、学生シニア1200円に割引!

2014年/日本/カラー/114分/製作:ドキュメンタリージャパン、ビッグリバーフィルムズ/配給:playtime

監督:舩橋淳(『ビッグ・リバー』)/プロデューサー:橋本佳子(『祭りの馬』)/撮影:舩橋淳、山崎裕(『誰も知らない』『2つ目の窓』)/テーマ音楽:坂本龍一「for futaba」/音楽:鈴木治行(『M/OTHER』『よみがえりのレシピ』)/製作:ドキュメンタリージャパン、ビッグ・リバー・フィルムズ

公式サイト:http://nuclearnation.jp/

町長交代、避難所閉鎖までの1,111日。 報道では決して伝わらない人々の声が突き刺さる。

 

舩橋淳監督×濱口竜介監督 対談

★3/22(日)19:00より
http://risseicinema.com/archives/9590

 

【イントロダクション】

 
『フタバから遠く離れて 第二部』とは、福島第一原発事故により避難を強いられている、福島県双葉町を追ったドキュメンタリー映画『フタバから遠く離れて』の続編である。第一部は、埼玉県加須市にある旧騎西高校へ全町避難をした後9ヶ月を追ったものであり、第二部はそれ以後から現在までの約3年間を記録した作品である。
2012年第一部公開当時オーディトリウム渋谷は連日満席となり、公開数日でアンコール上映が決定された。その後も各地での劇場公開、国内約100箇所で自主上映が行われ、海外ではベルリン国際映画祭ほか40以上の映画祭に招待、海外版DVDも今秋発売予定と、大きな反響を得ている。

 
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長い避難生活で町民の間に不満が多く出はじめた双葉町の避難所や仮設住宅では、町議会と町長が対立。2013年2月に井戸川克隆町長(当時)が辞任に追い込まれた。町長選挙を避難先で行うという異常事態の末、異なる町政方針を打ち出した伊澤史朗氏が当選、役場は福島県いわき市に再移転した。町長交代により揺れ動く双葉町は帰宅困難区域に指定され、さらには中間貯蔵施設の建設計画が出されるなど、事故に起因する様々な問題が大きな影を落としてゆく。歴史に翻弄された土地、そこで暮らしてきた人々の立場を克明に映し出し、目に見えないものが消失していく様と、原発行政がもたらした矛盾を描く。

 
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【ディレクターズノート】

監督:舩橋淳

 
原発事故は遠い昔の出来事だったかのように、風化が進んでいる。

その中で原発避難民を映した映像は、メディアのここかしこに散見されるが、それはみな「被害者」「かわいそうな人たち」というレッテルを張った描写である。
それを見て「ああ、かわいそうだ」と思うもの
「そんな話題、もう見たくもない」と思うもの
こうした認知の在り方そのものが僕はおかしいと思う。   
その認知全体をひっくり返し、見直したいと思う。
なぜか。
福島第一原発の電力はほぼ100%関東圏に送られて来た。
僕たち東京の人間、都市部の人間が使って来た電気である。
そして、60年代〜日本の高度成長の中、「原子力 未来の明るいエネルギー」(双葉町に架かっている標語アーチ)として原子力のポジティブなイメージを支え、原子力にGOサインを出してきたのは、僕たち日本人全員、日本社会そのものだからである。
元は、原爆と同じ核の毒であり、悪魔に魂を売ったゲーテのファウストのように、その大きなしっぺ返しを受けながら、それが自分達に起因していることをどうしても認めたくない。
そんなしっぺ返しの強烈な<痛み>に対し、僕たちは距離を置いて直視を避けている。他人のせいにする方が楽だから、国と東電を責める。
遠く離れることで、それを直接には感じなくなることで、
うやむやに過ぎ去ってゆくものがこの世の中に、たくさんあるということ。
原発避難民は「かわいそう」なだけじゃない。
僕たちもその加害の一端を担っているのだ。
正義の欠如に僕たちも加担しているという不都合な真実。
今の国の態度は、金と権力と歪んだ理屈でムリヤリで黙らせようという前近代的なやり方。(それは、いまの首相にせよ、県知事にせよ、また世界のあらゆる国で見られる市民の弾圧である)
住民説明会では、環境省が中間貯蔵施設の補償を、東電が賠償の窓口とする、という縦割りが徹底され、すべて事務的な補償<金目>の議論に落とし込まれている。
そもそも誰がこのような犠牲を押し付けるのだろう?という問いは、議論されない。
そうすることで、国は責任追及は免れる、
のではなく、「僕たち」が責任を免れている。
巨大な責任回避装置を私たち自体がサポートしている。
他人の痛みを思いやるだけじゃ足りない
自分の加害について思いを馳せる 
それがぬくぬくと電気を使いつづける、悪魔に魂を売り続ける、私たちが感じるべき、ささやかな倫理であると思う。

 


 
『フタバから遠く離れて 第一部』3/7〜3/20上映
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